文学にみる「マネー&相場」−1− <鍋島>渋川玄耳著「薮野椋十 日本と世界見物」 一攫千金に賭ける日本移民 |
渋川玄耳は東京朝日新聞の社会部長だった人で、薮野椋十はそのペンネームである。薮の中に椋鳥(むくどり)が十羽も集まれば、ピーチク、パーチク、うるさくてしょうがない−−といった自嘲的な意味合いを込めて命名したのかも知れない。 薮野椋十は軽妙洒脱な文章家で知られ、そのエッセイ集は古書街でも垂涎(すいぜん)の書である。「日本見物」が初めて朝日新聞紙上で掲載されたのは、夏目漱石が朝日新聞に入社した頃で、筆遣いが「わが輩は猫である」と似ていたため、筆者は漱石ではないか、といった憶測が飛びかったらしい。 この本の古書価が値を呼んでいるのは、漱石が序文を寄せていることもあるだろう。漱石は「序文の名人」とも呼ばれるが、薮野から西方町の漱石のもとへ矢文が飛び込んだ。 「椋十先生が『東京見物』を出版されたに就いて、漱石の序文が欲しいとの御意である。はるか麹町からホトトギスの鳴く西方町へ書を致して序を徴される文言には、君ほど序文の上手な男はない、とある。『東京見物』は頁が足りないから、二、三百頁がた、君の序文で埋合わせをしたい、とある」 ![]() 「彼等(支那街)の商売は、表看板だけで、その実は皆賭博宿を営んでいる。ことに気早の日本人には一攫千金の賭博は性が合う。本国の衆議院で馬券再興の議案が通過する位だから、いやしくも日本魂のある移住民に賭博気が無うてなろうか。金さえあれば成功者だ。汗水流して働くよりもブランでもあおりながらの成功秘訣が楽でいいと、支那町にもぐり込む。されど賽の目は思うにまかせず、一攫千金は放擲(いってき)千金となってしまう。これは米国どこに行っても同じ日本移民の悪習じゃげな」賭博にのめり込む日本人の半面で、果樹園芸などで成功して大地主になる人々も多い。広島出身の西山満之助は語る。 「無一文で来ても体が丈夫で勤勉なれば一年に三百ドルを残すことは確かである。三年ためれば借地をする資本はできる。さらに四、五年辛抱すれば二、三十エーカーの地は買われる。最初千ドルを持ってきて夫婦仕事に十エーカー位を耕作し始めれば、極々安心な成功が望まれる」ところが、日本人は大きな計画を立てて、一時に儲けようとする気質が強く、儲けるはずが儲けそこなってしまうことが多いという。 西山満之助のサクセス・ストーリーに耳を傾けながら薮野椋十はこう嘆息する。 「ああうらやましい。おれも三、四十年若かったら、ここにきて、五十年も辛抱してあの雪の山の下まで自分の領分にして、アメリカの薮野様という大地主になろうものを!」(泉 良介) (画像は<薮野椋十 像>「薮野椋十 日本と世界見物」収蔵から引用) |
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