株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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 文学にみる「マネー&相場」−2− <鍋島>  (2005.03.11)


つや栄 著『新橋三代記』
萩大名や黒御前、水揚げ主も


 芸者は筆の立つ人が多いとみえる。中には口述筆記もあるだろうが、その一代記はなかなか面白い。古くは桂太郎公の愛妾お鯉の『お鯉物語』、男のために小指を切り落とした照葉こと高岡智照尼の『花喰鳥』『照葉始末記』、近くは昨年(2004)ニューヨークで九十歳の大往生を遂げた中村喜春姐さんの「江戸っ子芸者一代記」などはベストセラーになった。

 新橋芸者のつや栄姐さんの『新橋三代記』には「紅燈秘話」と角書が施されている。いまから半世紀前に出た本だが、時の山一証券社長大神一が序文を寄せている。大神は当時相場師としても数々の仕手戦を戦ったが、山一の全盛期のリーダーとして、圧倒的な存在感があった。

 大神のあっせんで、東京タイムズ紙上に連載されたものをまとめたのが本書だが、財界人や相場師が登場して興味深い。

 三井の重鎮朝吹英二は若い時は相場師としても活躍したが、花札が大好きであった。少年時代に病んだ疱瘡(ほうそう)の跡が顔一面に残っていて、「アバタ面」で知られるが、花柳街では「萩の花」とか「萩大名」の異名で通っていた。
『新橋三代記』  
 「朝吹さんは、バク才があってお花も大変お上手だった。花札に『萩に猪』の札がありますね。口の悪いのが、『朝吹の顔は、花札の萩にそっくりだね』といったのが始まりで・・」
 大正バブルの時、船成金の代表格であった山下亀三郎(山下汽船の創始者)は「黒御前」の尊称が贈られた。とにかく色が黒かった。「黒御前」はお茶席で腹痛を起こす持病≠ェあった。
 
 「お茶の席などに招かれても、懐石がすむと『少々、腹痛を催しましたので・・』と挨拶して、さっさと帰ってしまう。お友達の間で『亀さんの腹痛』と呼ばれるほど有名になっちゃった」
 山下は時間をムダにするのが大嫌いで、茶会をしばしば中座した。いつも粗末な麦わら帽をかぶっていたが、その内側には「上等」と手書きしてある。山下曰く「皆が成金の癖に汚い帽子だっていうから、先手を打って『上等』と皮肉った訳でさァ」。

 つや栄が水揚げされたのは深川の大手米問屋の主人で、相場師としても鳴らした中村清蔵であった。  
 「あたしは十七で水揚げだわ。その方は、新橋だの、ほうぼうの土地で、水揚げ専門の人だったわ。中村上清(じょうせい:上清は屋号)さんっていったら、たいしたもンだったわ。蛎殻町の人でしょう。柳橋辺りで中村上清といったら、いい芸者はたいがい、水揚げされているんだわ」
 『財界物故傑物伝』は中村清蔵についてこう記している。  
 「深川正米市場に進出し、その機略を縦横に駆使し、漸次その商人としての風格は同業者の間に異彩を放ち、ついに斯界の有力者として立てられ、その一挙一動は衆目の集まるところとなった。次いで彼はその潜勢力と豊富なる資力を善用して堅実なる実業界に腕を伸べ・・」
 花街言葉が相場用語になった例は多い。玉、玉割り、寄付、大引・・・水揚げも売買高、売上高を意味する言葉として広く産業界に浸透している。心血を注いで平和時の戦争ともいうべき相場と戦ったあとは、花柳界で、その疲れを癒したのだろう。「相場師が家で寝る不仕合わせ」との川柳もある。相場師が家で寝るようになったら、そろそろ潮時のようだ。 (泉 良介)

(画像は『新橋三代記』)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】
■昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に執筆。日経金融新聞で『ニッポン相場師列伝』連載中

■日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書『相場師奇聞』(河出書房新社)、『相場師異聞』(同)、『今昔 お金恋しぐれ』(同)、『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『市場雑観 商品記者の切抜帳』(五台山書房)、共著『フューチャーズ群像の素顔』(市場経済研究所)、『日本市場史』(日経事業出版社)ほか。

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