株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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 文学にみる「マネー&相場」−3− <鍋島>  (2005.03.31)


菅原通済著 『通済一代 − 壮年編』
米相場で大ヤケド


 菅原通済がゴムのブローカー「南興商会」を旗上げしたのは、大正10年のことだ。麹町のある高利貸の店舗を借りた。高利貸だから大きな金庫が2つもあり、これがお客を信用させるのに好都合だった。電話も2本あれば十分だった。社員たちは皆千軍万馬の連中である。
 「お客でもくると、急に金庫をあけたり、閉めたりする。桜井(通済の側近)の奴が飛び出して、そこらの公衆電話から店に電話をかけると直井(社員)が電話口に出て大きなことをいう仕組み」
 いかにも現金をどっさり抱えて大きな商いをやっているような雰囲気をかもし出す。
 「いつでもいいですよ。なるべく早いほうがいいね。すぐ取りにきてくれたまえ。いくらだったっけな。エー、51万2千・・・エー?350円か。いつでもいいです」
 こんな調子のやりとりで、来客に安心してもらう仕掛けだが、大金庫の中は空っぽで、1万円、1,000円もあるはずもない。
『菅原通済』  そんなある日、桜井が米相場に手を出す。天気をみて、うなったり、ため息をついたりしている。
 通済曰く。「馬鹿野郎、ケチケチ相場をやるから損をするんだ。やるなら思いっ切り研究して乗るか、そるかやってみろ」
 桜井をどなりつけたものの、話を聞いてみると米相場は面白そうである。錦城中学時代の仲間で、当時、東京米穀商品取引所の場立ちとしてハバを効かせていた日比谷守に出会う。そして、一日、守ちゃんの特訓を受ける。
 「守ちゃんが手真似、身ぶりよろしく説明するので、桜井の奴、すっかり有頂天になり、こっちまでつり込まれ、とうとうハマることになってしまった」
 築地3丁目の光楽という待合を借りて、そこに泊り込み、本格的に相場に専心する。だが、所詮は素人の一夜漬けでは勝てる訳もない。大失敗を重ね、南興商会もたたむ破目となる。そして通済は悟った。
 「金に余裕のある時は、不思議に相場に勝つもので、無理した金では絶対に勝てるものではない。穴をますます大きくするのがオチだ」
 そして後年述懐している。
 「米相場をやっている時は、おれのような案外神経質の奴は、上げ下げで、小便の色まで変わる始末。わずかに夜の9時頃になると、酒の酔も出てきて、どうやら気も大きくなり、12時頃になって、やっとひと眠りはできるが、まだ夜の明けぬ4時頃ともなると、もう手形の払いとやりくり算段で朝めしすらまずい思いであった」
『通済一代 − 壮年編』  仏文学の大家で東大教授の辰野隆は酒仲間でもあるが、通済の風貌について語っている。
 「眺めながら、なかなか色男だなあ、と思う。上半面が金持ちのやんちゃ息子で、下半面が転んでもただは起きぬ土建屋のせがれ、といったところに一種の魅力があるのだ」
 通済の書く文章にもその両面が良く現れている − と辰野博士は語る。巨匠小津安二郎の作品で酒席の場面には必ずといっていいほど登場する通済には酸いも甘いも噛み分けた人生の達人の雰囲気が漂っているように思う。


 
 

(画像は菅原通済<上>、『通済一代 − 壮年編』<下>収蔵から引用)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】
■昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に執筆。日経金融新聞で『ニッポン相場師列伝』連載中

■日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書『相場師奇聞』(河出書房新社)、『相場師異聞』(同)、『今昔 お金恋しぐれ』(同)、『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『市場雑観 商品記者の切抜帳』(五台山書房)、共著『フューチャーズ群像の素顔』(市場経済研究所)、『日本市場史』(日経事業出版社)ほか。

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