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市場研コラム

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 文学にみる「マネー&相場」−6− <鍋島>  (2005.08.15)


車谷長吉著『銭金について』
勝ち逃げ


 直木賞作家の車谷長吉(くるまたにちょうきつ 1945〜)氏がサラリーマン時代のことである。慶応大学文学部を卒業して、東京日本橋の小さな広告代理店に勤務した。
「この会社では、時折、地方出張を命じられることがあった。交通費はそのまま支給されたが、宿泊代は当時の金で、一泊1,200円。これではどんな木賃宿にも泊まれなかった。最低の木賃宿をようやく捜し当ることができても、2,500円はした。・・・3泊4泊の出張ともなれば、大変である」
車谷長吉  当時、車谷さんの月給は手取り2万5,000円だったから、一遍出張すると、給料の半分が消え失せた。このことを上司に訴えると、上司は社長に取り次ぐ。すると「あいつは親元の家がいいから、親に泣きつくように言え」。大変な会社もあったものだ。

 社内にはハイミスの「金貸し」がいた。「恰もパチンコの外れ玉が最後に消えて行く穴のような女だった」。おそらくは「十一」(といち)ほどの高利であっても、彼女のもとには融資を求める仲間たちの列が引きも切らなかったに違いない。

 そんな時、車谷さんが一攫千金の陶酔を味わうことになる。先輩社員から「お前も1,000円出せ」と。「社会人になった以上付き合いということがある」とむりやり出資させられる。競馬の日本ダービーに大枚を投ずる羽目になる。車谷さんに金を出させた先輩曰く。「お前の誕生日はいつだ」。「7月1日ですけど」と答えると「じゃ、1−7だ」。

 結果は無印の「タニノハローモア」が1着に入って、100円券で6,700円の大穴。 1,000円だから6万7,000円。月給の3倍という大金である。どぶに捨てるつもりの金が大化けしたのだ。

 「翌日、会社へ行くと、当然、待ってました」とばかり、悪運が強い、とか、どうとか、はやし立てられ、みんなにおごらされた。向かいの女の人は『勝てば勝ったで、またいやな気持ちなのよね』と言うてくれた。

 これが先輩いうところの「大人の付き合い」と知らされた車谷さんは期するところがあった。
 
「それ以後は、私は最早どんなにせっつかれても、その手の付き合いには応じなかった。人は私のそういう態度を『勝ち逃げ』と言うた。私には迷いの多い勝ち逃げだった」
 車谷さんは「大人の付き合い」による競馬は断然やめることになるが、ひそかに一攫千金を狙って馬券を買うこともやめてしまったかどうかは分からない。ビギナーズ・ラック(初心者の僥倖)で大穴を当てただけの話であり、以後いくら夢をもう一度と安月給の中から競馬資金をひねり出したとしても、結果は明々白々のはず。「勝ち逃げ」こそは賭け事必勝法といえるかも知れない。

(画像は<車谷長吉 著>「銭金について」)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】
■昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に執筆。日経金融新聞で『ニッポン相場師列伝』連載中

■日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書『相場師奇聞』(河出書房新社)、『相場師異聞』(同)、『今昔 お金恋しぐれ』(同)、『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『市場雑観 商品記者の切抜帳』(五台山書房)、共著『フューチャーズ群像の素顔』(市場経済研究所)、『日本市場史』(日経事業出版社)ほか。

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