文学にみる「マネー&相場」−7− <鍋島> (2005.09.05)松本清張著『実感的人生論』 金融の世界を流転した松本峯太郎 |
松本清張の父・松本峯太郎は相場師をはじめいろいろな仕事を転々とした。 「父は、餅屋、相場師、貸金の取立て役、飲食店、屋台店、魚の行商と職業を変えていった。みんな成功しなかったが、相場師と貸金の取立てを除けば、母はすべて父の仕事に付き合った」峯太郎の生家は餅屋だったが、朝、餅をつくのを手伝うと、外に飛び出して夜まで帰ってこなかった。 「父の外の仕事というのは米の空米相場で、取引所の近くにある仲買店に居すわったり、そこからはじき出されると、仲問の家を回ったりした。 * 空米(くうまい)相場とは米穀取引所の相場を標準として行われる一種の賭博行為、百合のこと。 ![]() やがて相場師に失敗した峯太郎は町の金融業者から貸金の取立てを請け負うようになる。しかし、お人好しで気の弱い峯太郎に債権の取立てなど、所詮永続きするはずもなかった。それでも「金融」関係に自らの適性を確信していたのだろうか、こんどは無尽会社の特約店の看板を掲げた。 * 無尽とは庶民金融の一種。瀦齊q講と同じ。組合員が一定の金額を出資し、期日に抽選または入札によって所定の金額を順番に組合員に融通する組織。鎌倉時代から行われた。無尽を業とする会社が無尽会社で、1951年以降、相互銀行に改組したものが多い。さらに1989年から普通銀行(いわゆる第二地銀)に転換した。峯太郎はニコニコ貯金などという大黒様の絵が描かれたポスターを大量に持ち帰ったりしたが、そのうちに逆に借金を取り立てられる身となって姿を隠す。木賃宿にいるところを妻タニに見つかり、つれ戻される。 「新しく移った土地では父は橋の上で鮭売りをはじめた。魚市場で普通に買ったものを売るのでそれほど口銭があるわけではないが、寒空の下で父はのんびりと橋の上を行き交う人々を眺めていた」相場師として羽振りのよかった頃には、絹の羽織で堂々たる出立ちであったが、この頃はツギハギだらけの木綿の着物と股引に変わっていた。その後も峯太郎一家の流転は続く。気弱でのんき者の峯太郎、気丈で一本木な母タニの生き方に、清張さんは典型的な日本型庶民の姿を見た。 「私の性格には、この父と母の姿が二つとも受け継がれている。どちらのほうがより濃いか自分では分からない。両方が状況に応じて交互に出てくるような気がする」(画像は<松本清張 著>「実感的人生論」中公文庫) |
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