株式会社市場経済研究所

市場研コラム

 【バックナンバーの一覧にもどる】



 文学にみる「マネー&相場」−11− <鍋島>  (2005.12.27)


上坂冬子著『男装の麗人・川島芳子伝』
その波瀾に富んだ生涯に登場する相場師 イトウ・ハンニ



 清朝の王女に生まれながら日中15年戦争に運命を狂わされて東洋のマタ・ハリ≠ニして銃殺刑に処せられた川島芳子。その波瀾に富んだ生涯に1人の相場師が登場する。昭和の天一坊と呼ばれたイトウ・ハンニがその人で一時は巨万の富を築いた。
 イトウ・ハンニはれっきとした日本人で、相場の盛んな三重県出身、本名は松尾正直。出身地伊勢の「伊」、東京の「東」、大阪の「阪」そして両都市で名を上げるという願いを込めて「二」、つまり伊東阪二と改名する。

「相場師だった父親は米相場で失敗して身代を潰したが、ハンニも単身上京して父と同じく相場に目を付けた。金解禁(昭和5年1月)後の不況は日増しに深刻の度を加えたが、この機を狙ってハンニが張った博奕は当たり、やがて彼は当時の金で150万円(現在の15億円ほど)を手にしたという」
男装の麗人  昭和6年9月18日、満州事変勃発と同時に株価は再び大暴落した。
 「満州事変の3日後にイギリスが金解禁に踏み切って市場は大混乱となった。ハンニはそこをすかさず買いあさった。昭和6年12月11日、金解禁を続けてきた若槻礼次郎内閣が総辞職するや、株価は一挙に暴騰した。ここでハンニは300万円を儲けた。二度の大穴を当てた彼には独持の情報網があったとして・・・」

 昭和6年12月、ハンニは陸軍省に1万円(今なら1,000万円)を寄付、青年相場師の善行≠ニしてマスコミを賑わせた。そして翌7年4月には「世界一の大雑誌」と銘打って月刊「日本国民」の創刊に踏み切る。発行所を帝国ホテル内とした。その頃、イトウ・ハンニは帝国ホテルで起居していたからである。さらには徳富蘇峰ゆかりの「国民新聞」も買収する。この頃がハンニの絶頂期で、川島芳子と出会うのもこの前後とみられる。やがて九段の白百合高女の近くで同棲生活が始まる。

 ハンニと芳子の出会いについて上坂冬子は次のように記している。
 「日本に送り返された芳子は、間もなく昭和の天一坊と騒がれた相場師のイトウ・ハンニと出会う。田中隆吉が仄めかしているように、大陸の将軍たちが芳子を持て余して日本に戻したとすると、これに対抗してイトウ・ハンニに走った芳子は、おそるべき生活力の持ち主というほかはない」

 芳子は満州国公使館の自動車を走らせて、銀座、赤坂、人形町とダンスホールを駆け巡り、ハンニとはダンスで知り合ったといわれている。


 相場で巨富を掴んだハンニが、相場で綻破、芳子と縁が切れるばかりか、杳(よう)として姿をかくす。相場の神様・山崎穣二と米相場で対決、大勝負に敗北してハンニの命運は尽きる。

(画像は上坂冬子著「男装の麗人・川島芳子伝」文藝春秋刊)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】
■昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に執筆。日経金融新聞で『ニッポン相場師列伝』連載中

■日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書『相場師奇聞』(河出書房新社)、『相場師異聞』(同)、『今昔 お金恋しぐれ』(同)、『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『市場雑観 商品記者の切抜帳』(五台山書房)、共著『フューチャーズ群像の素顔』(市場経済研究所)、『日本市場史』(日経事業出版社)ほか。

topへ

Market Economy Research Institute Ltd. 2000-2009 All rights reserved.