株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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 文学にみる「マネー&相場」−12− <鍋島>  (2006.01.24)


徳富猪一郎著『蘇翁夢物語−わが交遊録』
大隈重信は金に細かかった



 平民主義、自由主義を唱え、日本のジャーナリズムの基礎を築いた巨人・徳富蘇峰(1863−1957)。西郷隆盛、大久保利通、山県有朋、伊藤博文、勝海舟、新島襄ら、明治という骨太の時代を作り上げた歴史上の人物たちとの気ままな交流録を繙いてみると‥‥。

 「かつて松方は『桑名の諸戸清六は人に向かって、相場の相談は大隈さんとなし、経済の相談は松方さんとするといったそうだ』といって、自分と大隈との立場をかくの如きものであると語っていた。即ち、大隈は相場師の親玉で、自分は天下の財政家である如き自信を持っていた。そして井上(馨)に対しては、全くの台所経済であるというような風に考え、井上が余りに部分的に頭を突っ込み大体を閑却することを諷していた」
蘇翁夢物語  大隈重信は強気のインフレ財政で赤字をたれ流し、松方正義はデフレ経済で、大隈の尻ぬぐいをさせられた。それ故に桑名の大相場師、初代諸戸清六が周りの者に向かってしゃべった内容が人伝えに松方の耳に入ってくると、「それ見たことか、大隈よ」といわんばかりに喜んだのであろう。

 大隈は相場師の親玉で、おれは天下の財政家、井上に至っては末梢部分にこだわる台所経済家に過ぎないと、松方は自信を深めていった。

 確かに大隈は相場が好きだったし、相場師を可愛がった。桑名の豪邸に諸戸清六を訪ねたことがあるし、天才的ヒラメキの相場師、福沢桃介の著書に序文を寄せ、成金王・鈴木久五郎を私邸に招いて相場談議を交わしたりした。  蘇峰も大隈について「理財の才があった」と金儲けが上手だったことを記している。

 「彼は壮年時代から金銭については本来の趣味を持っていて、これを融通するの道を知っていた。彼はその主人鍋島閑雙(かんそう)より、藩の基金の融通方を託せられ、これを上方の巨商に預け、それぞれその運用をしていた。それで彼はその糧道を絶たれても、とやかくやっていくだけのことはできた。彼の籠城費は、彼が明治十四年、官を罷(や)めた頃に買収したる早稲田の地面が漸次地価を生じ、その地代やそれを切り売りしたるものにて支えたということである」 

 大隈の私生活については「豪奢」ということが定説になっているが、蘇峰は、大隈の金の使い方が上手だったことは間違いないが、いわゆる「豪奢」というには当たらないとの見方をとって、次のように述べている。
 「茶代などは随分奮発したということであり、遣い物なども相手次第では随分思い切ったものを遣(や)ったということであるが、一般にはむしろ質素といってさしつかえない。また金の勘定は細かかった。予は彼と最も親密にしたる時代でも、いまだかつて金銭上において彼より融通を受けたことはなかった」



(画像は徳富猪一郎著「蘇翁夢物語−わが交遊録」中公文庫刊) から引用)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】
■昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に執筆。日経金融新聞で『ニッポン相場師列伝』連載中

■日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書『相場師奇聞』(河出書房新社)、『相場師異聞』(同)、『今昔 お金恋しぐれ』(同)、『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『市場雑観 商品記者の切抜帳』(五台山書房)、共著『フューチャーズ群像の素顔』(市場経済研究所)、『日本市場史』(日経事業出版社)ほか。

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