株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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文学にみる「マネー&相場」14[鍋島](2006.03)

谷崎精二著『貯怪の弁』(「都市風景」所収)
なぜ「貯金する怪物」か

谷崎潤一郎と精二兄弟

谷崎精二の「都市風景」が出版されたのは昭和14年のことで、すでに戦時経済に突入していた。名門砂子屋書房が版元となって初版1,200部が印刷された。最近古本展で見掛け、買うか、買うまいか、迷った揚げ句、清水の舞台から飛び降りる心持ちで買ったのは、「貯怪の弁」と「生ひ立ちの記」が含まれていたからだ。
 
 谷崎精二は兄の谷崎潤一郎が余りにも偉大な存在ゆえに陰が薄いが、日本橋蛎殻町が生んだ逸材であるのは間違いない。早大の文学部長などもやり、立派な全集も残している。
 
 谷崎精二に「貯怪」という異名を授けたのは「子をつれて」などで知られる私小説家の葛西善蔵(1887−1928)である。
 「葛西は私に貯怪という渾名をつけた。この外廣津(和郎)には交怪、彼自身には遁怪という名をつけている。私の貯怪は貯へる怪物、葛西の遁怪はやたらに遁走する怪物、そして広津の交怪というのは、男女を問はずやたらに交わってしまふといふ意味ださうである」 
 借金にまみれて暮らすのが当時の文壇の一般的風潮であったらしい。貯金などというものに手を染める文士は文壇の風上にも置けない怪物だったのだ。そんな時代に、谷崎精二は借金をせずに通したので「貯怪」のあだ名を頂戴することになる。
 「私の貯金説の根拠は私が月々の払ひをきちんきちんとしていることと雑誌社から前借りをしないことにあるらしい。さうだ、私は借金をしたことがない、だがそれは、生活に余裕があるからではなくして、私自身が気が小さくって借金が出来ないからである。そして借金をしない者は必ず貯金をしているといふ定理は決して成立しない」
 谷崎精二が借金をしないと決心をしたのは父親の感化によるものだ。谷崎の父倉五郎は相場師であった。米穀取引所の仲買人もやった。だが、一流の相場師にはほど遠く、家産を傾け、始終親戚から借金して、軽蔑される姿を間近に見て育ったからだ。
 「私の父は愚直な、無気力に近い男だった。世渡りが下手なため、養子の身の上で養父から譲られた財産を次第に摺り減らしてしまひ、年を追って零落して行った。・・・伯父はおろか伯父の息子たちにまで父がへいへいしているのを見て、私はどんなに不快だったらう。一つは私の父が無気力だったためかも知れないが、私が育った商人の世界では、金を借りた者はそんなにも軽蔑され、無視されていた」
 相場師として尾羽打ち枯らした父倉五郎の姿を谷崎潤一郎も名作「幼少時代」で、描いているし、精二の「生ひ立ちの記」にも精しい。それに引き換え伯父谷崎久兵衛(倉五郎の兄、谷崎商店主)は蛎殻町米穀仲買のリーダーとして尊敬と信頼を一身に受けていたが、ある日、三浦三崎港で投身自殺する。

(画像は米山公啓著『「持たない!」生き方』大和書房)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』