株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 5[鍋島高明](2014.08.22)

株式ブームでもうけた人々
東では山一、丸荘、斎藤定吉、ブーちゃん

三鬼陽之助と対談する佐藤和三郎(右)

 昭和12年6月、日中戦争の突発する直前、ダイヤモンド社から新しい経済雑誌「経済マガジン」(月刊)が創刊される。
 古今東西のヒトの情報が満載されているのがこの本の特長。「このころの株式ブームで誰が儲たか」のページでは、まず兜町での当たり屋筆頭は山一証券で1,500万〜2,000万円、うち太田収社長のもうけが200万円見当。山一のもうけは新鐘(鐘紡新株)によるという。また東大出のインテリ相場師斎藤定吉が50万〜100万円もうけた。斎藤と親しい林荘治(丸荘証券)のもうけも大きかった。
 「林君はちょっと変わった相場師で、相場はカンでいく人が多い中で、この人は夜中こつこつ歩いて学者の門をたたいて意見を聞き、株式の内容についても、すこぶる綿密な調査をやる。その綜合知識の上に立って、売りか、買いかを決めるといったいき方である」。
 林のもうけはざっと1,000万円にのぼる。山吉証券の鈴木由郎は米屋町出の相場師だが、約500万円握ったとの評。また丸上の遠山芳三が200万円のもうけ。そして「買いだ。買いだ」と年中強気をぶって回ってる兜町の人気者佐藤和三郎が70万〜80万円もうけた。
 「通称ブーちゃんといって玄人だが、店舗を構えているわけではない。街で育った街の人だ。昨年の暮れは100円の金に困っていたのに雑株中心に当て、足軽から大名になったようなもの」
 ブーちゃんは戦後、獅子文六の小説「大番」の主人公ギューちゃんのモデルとなる人。  もうけ頭山一を率いた太田収が翌年、鐘紡の暴落で自殺するのだから一寸先は闇だ。

(写真は三鬼陽之助と対談する佐藤和三郎(右))

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』