株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 8[鍋島高明](2014.10.28)

もう1人の新宿将軍
「ワシらが不景気吹き飛ばす」

浜野 茂

 昭和32年8月14日付読売新聞は「老残の新宿将軍、かつての株成金。浜野老」と写真入りで大きく報じた。新宿から蛎殻町まで2頭立ての馬車で駆けつけてコメ相場をゆるがしたと伝えられる浜野茂の近況を報じたのかと思ったが、あの新宿将軍は大正3年に亡くなっているのでU世なのか、と思いつつ読み始めたが、どうやらそうでもないらしい。記事はこう書き出されている。
 「明治、大正、昭和の3代にわたって東京の兜町、大阪の北浜両株界にその勇名をとどろかせた、株界の傑物、浜野茂(80)がいまは、栄華をきわめたむかしはいずこ、坂出市立の養老院の一室でひとりわびしく老いの余生を送っている」
 「翁は明治9年2月11日、旧河野郡坂出村で精米精麦業浜野佐之吉さんの次男として生まれ、私設○(1字不明)々学館を卒業、父の後を継ぎ、27歳で大阪市生野区に出店を開いたが、賭け事が好きで、同38年店をたたんで北浜の株界に足を入れ、浜野株式取引商店を開設したのが当たって、トントン拍子に財を築き、株式成金岩本栄之助氏とも親交があった」
 かつて新宿将軍とか白銅将軍と呼ばれた浜野茂(1852−1914)とは別人であることがはっきりしてきた。しかし、別人ではあっても波乱の相場人生を歩んだもう1人の浜野茂の足跡は興味深い。新聞記事はまだまだ続く。
 「大正初期、ときの総理大臣犬養木堂が北浜で財界の悲観論を説いたとき、真向うから“株屋が不景気を吹き飛ばしてみせる”と大見栄を切ったことは翁の自慢話の1つとなっている。その後、上京、新宿に住み、第一次世界大戦の○○(2字不明)の波に乗って1日で20万円(現在=昭和32年当時の7,000万円)稼いだこともあり、またたく間に200万円をかき集め、このころ人気芸人の松旭斉天一とも交った」(つづく)

(写真は浜野 茂)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』