株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 9[鍋島高明](2014.11.14)

もう1人の新宿将軍
没後40年、新聞賑わす

松村 梢風

 読売新聞の「もう1人の新宿将軍」に関する記事は長文で、なかなかの力作だが、昭和32年当時村松梢風が連載していた「近世名勝負物語」の件がある。それは人気芸人松旭斎天一を主人公とした「魔術の女王」の巻きで、浜野茂と松旭斎天一は気性がよく合って兄弟分の盃を交わしたとされる。筆者はこの本をみていないので、ここは新聞記事からの孫引きで勘弁してもらうしかない。
 「その(盃を交わした)場所は葭町の料亭『百尺』で盛んな披露をしたものであった。(中略)米屋町へ入って、またたく間にその時分の金で200万円賭け、新宿番衆町に数万坪の邸宅を構え、廷内に鴨狩りをする大池を造って豪勢な生活をし、『新宿将軍』の名を馳せた…」この記述を読むと“本物”の新宿将軍のようにも思える。松村梢風は“本物”と“もう1人の新宿将軍”を混同しているのかも知れない。いや、読売新聞の方が2人の浜野茂をごっちゃにしているようにも思える。記事の続きをみてみよう。
 「大正14年大阪の株界から“関西人が東京で商売するのは間違っている”といわれ、再び大阪に帰ったのが没落の第一歩になったという。妻ヒサさんとの間に生まれた1男2女は相次いで病死、第2次大戦では大阪、神戸、尼崎と3度も戦災にあって財産をなくし、20年秋にヒサさんと30余年ぶりに故郷に帰ってきたが、頼むヒサさん(当時64歳)も28年4月に病死し、身よりをなくして同年7月ついに坂出市立養老院に入った。いま養老院の貧しい食事(1日分48円)にも感激のハシをとっている。翁は『お客の金で相撲を取るような人間の末路は、えてしてこんなものだ』しみじみと語っている」(高松発)
 どうやら播州出身の浜野茂とは別人であることがはっきりしてきた。かくなるうえは、坂出出身の相場師浜野茂の足跡探しを始めなくてはならなくなった。手始めに村松梢風の近世名勝負物語「魔術の女王」を手に入れ「もう1人の新宿将軍」発掘の手掛かりをつかみたい。
 それにしても読売新聞が4段抜きの大見出しで「老残の新宿将軍」と報じたのはかの“初代新宿将軍”の名が生前いかに大きなものであったかを物語る。没後40年以上もたって大きく報じられたことに浜野茂は地下で痛快、痛快と大喜びしているのではないか。

(写真は松村 梢風)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』