株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 10[鍋島高明](2014.11.27)

株屋の偏見を打ち破る時
モノ言う積極的勧誘の実績

神田 らい蔵

 明治43年(1910年)のことだ。兜町で「3ぞう」と呼ばれる3人男が話題を集めた。日露戦勝景気下では鈴久(鈴木久五郎)の天下であったが、バブル景気が弾けて、鈴久は淋しく兜町を去り、代わって「3ぞう」時代となる。「3ぞう」とは小池国三(山一証券の創始者)、福島浪蔵(山叶証券創業)、神田?蔵(紅葉屋証券、同銀行)の3人を指す。
 当時の兜町では、仲買人は相場師、株屋と呼ばれ、銀行家に比べ低くみられていた。3ぞうたちはそれが口惜しかった。だから有価証券の現物取引に重点を置いていたが、世間の見る目は株屋=相場師でバクチ打ちの仲間でしかなかった。そんな世評をくつがえす出来事が3ぞうたちによって成し遂げられる。公債の引受け、借換えで株屋の底力をみせつけたからである。5分利公債を4分利公債に借換えるという難事業であったが、3ぞうたちは、「われわれの力を経済界にみせつけるはこの時だ」とばかり、奮い立つ。
 「3人は打ち連れて日銀総裁松尾臣善並びに引き受け団幹事たる第一銀行頭取渋沢栄一を訪ね、借換え公債1億円のうち1000万円だけわたしたちにやらせて下さいと、下引受けを申し込んだ。引受け団銀行はこの申込みを協議したが、賛否両論があり、『株屋のやからに公債の引受けなど“オコのサタだ”』という反面、引受け団銀行としても1億円の公債消化は大仕事である。ことに5分利を4分利に借換えるのは容易ではない。仲買人は日ごろ有価証券の売買になれており、顧客に対しても銀行業者よりも積極的に勧誘する手段にもなれている。ここは試験的に彼らの希望に応じた方がいいとのことになる」(根本十郎著「兜町」)
 3ぞうたちは希望額の半分、500万円の下引受けを行うこととなった。(つづく)

(写真は神田 らい蔵)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』