株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 11[鍋島高明](2015.01.13)

牛ちゃん以後の4人の相場師(1)
集中投資で百発百中の曽根啓介

曽根 啓介

 獅子文六の小説「大番」の主人公牛ちゃんのモデルは合同証券社長の佐藤和三郎だが、牛ちゃんが引退したあとは兜町にはこれといった大物相場師はなかなか現れなかった。大物相場師待望論が高まる中、牛ちゃんほどハデではいが、兜町をにぎわした4人の相場師にスポットが当てられるのは、昭和36年(1961年)7月のことだ。三鬼陽之助率いる経済誌「財界」は曽根啓介、高島陽、有賀宣治、邱永漢をまな板に乗せた。
 曽根啓介は一橋大出身のインテリ買占め屋として恐れている。兜町の東光証券営業部長の職を捨てて、昭和30年ころ日山興業を立ち上げる。
 「集中投資とは読んで字の如く、ある特定の株を集中的に買うこと、つまり買占めである。しかし、鈴木一弘や横井英樹のような古典的買占めとはちがう。まず狙いを定めて、その株をひそかに買集める、そして『この株は買える』と盛んに言いふらして“ムード”をかもし出し、値をつり上げておいて市場で売り抜けるというのだ」
 この手法は戦後商品界の最強の相場師、伊藤忠雄もよく使った手法である。伊藤が相場会社を作っていたか、あるいは配下の商品取引員を使ったりして、買いあおって相場が高騰すると売り逃げて、チョウチン筋を食い物にした。
 曽根啓介はある時、新聞で北千住−五反田間の地下鉄新線の計画を知る。その時、ピンときたのが昭和ゴム。北千住にだだっ広い空き地を持っている昭和ゴムの株価は65円前後だった。昭和34年ころのことだ。自分の顧客に昭和ゴムを買わないか、と声を掛けると15名の曽根ファンが手を上げ、「万一損するとも一存これなく、すべてを一任する」と白紙委任状を取り付けた。
この資金をもとにひそかに株集めを開始する。40万株ほど集まった。これだけ集まればしめたもの。曽根はこれまでの隠密作戦から一転、大宣伝に走る。「昭和ゴムは大変な含み(不動産)がある。おそらく200円くらいまでは買える。みんなも買ったらどうか」と触れて回る。
 会社側はあわてて防戦買いに出て、相場は一気に170円にハネ上がる。曽根も一緒になって買い進み、持ち株は60万株に達し、発行株数の3分の1に達した。会社側はこの物騒な株を放置するわけにはいかず、人を立てて買い取りにくる。曽根は待ってましたとばかりに相場談に乗る。
 「売り値は200円といわれているが、ならして1株当たり50円ずつサヤがあったとしても、軽く3,000万円の儲けにはなった。曽根は昭和ゴムに続いて岩崎通信機、月島機械、鐘淵機械に同様の“集中投資”をやった。100%近い確率でひともうけを続けた」
 数年前、曽根氏の自宅に電話を入れた。ある買占め事件について聞こうとしたのだが、「もう昔のことは忘れた」といってガチャンと電話は切られた。大正7年(1918年)生まれだから、今年97歳になる。

(写真は曽根 啓介)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』