株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 12[鍋島高明](2015.01.29)

中山鉄鋼大仕手戦のアダ花
“伊勢町の女王、散る”

 “女・近藤紡”と呼ばれた川原比佐子が週刊誌をにぎわすのは昭和47年春のことだ。史上空前の仕手戦といわれた中山製鋼株を巡る戦いで近藤紡が無惨な敗北を喫した直後のことだ。名古屋の地場証券・安藤証券のセールスウーマン、川原は「伊勢町の女王」と呼ばれていた。名古屋の株式街伊勢町で抜群の営業成績を上げていた。それがこの歴史的大仕手戦に参戦したのが運の尽きだった。この仕手戦は近藤紡の売りに向かって糸山英太郎・笹川良一連合が買い進み、近藤紡が締め上げられ巨損をこうむったことで知られる。
 この時、川原は近藤紡にチョーチンをつけて売り方に陣取る。「中山製鋼を今、売っておけば絶対もうかるから、わたしに任せなさいよ」となどいって顧客に売り建てさせていた川原だが、相場はどんどん上がっていく。近藤紡のカラ売り玉にねらいをつけた糸山、笹川連合の買いの勢いが優勢になったためだ。川原自身もカラ売り玉が値上がりするため追証攻めにあい、苦戦に陥った。窮鼠猫を噛むというが、川原はお客の金に手をつけることとなる。その手口はこうだ。
 「まず自分で100株程度の端株を買い、この株券を会社に預けて預り証を手に入れる。そしてまとまった買い注文を出した客に端株の預り証の金額を変造して渡し、客の本物の預り証を着目しては仕手戦の軍資金にしていたのである。この手で川原の被害にあった者はわかっただけで20数人。このほか、川原は客の信頼を受けて預かっていた預かり証も売ったりしているので被害額の総数は100人近くで、被害総額は6,000、7,000万円…」(昭和47年4月27日付けアサヒ芸能)
 お客の被害額は安藤証券で全額弁償することになるが、それまでは会社の評判もきわめてよかった川原が法を犯すに至った原因はなにであったか。同僚のセールスマンの弁。 「全く寝耳に水とはこのことですね。川原は高校を出るとすぐ、この会社の事務員として務めてますから、もう20年選手なんです。外務員になったのは6年前です。それからメキメキ腕を上げ、ついに昨年はうちの社ではトップの成績ですね。もちろん名古屋のセールスマンの中でもベストテンに確実に入っていますね」
 外務員経験わずか6年で伊勢町でもトップテンに入る凄腕のセールスに成長するのは驚異の出世街道であったに違いない。週刊誌は女性犯罪のかげに男ありとにらんで取材に走る。
 「ポチャポチャして男好きのする40歳女」の年収は600万円というから金に困った上での犯行ではあるまい。男がいるはずだとねらいを定める。そして投資家のパトロンのような男の存在が浮上してくる。
 ここから先は筆者の憶測の域を出ないが、パトロンが近藤紡にチョーチンつけて大損をしでかす。「売りの神様」近藤紡でも破綻するくらいだからパトロンも共つぶれになり、「伊勢町の女王」もこれに殉じた−。
 近藤紡はこの敗戦で40億円という大損を出し、1年後に他界する。持病の糖尿病が悪化したためといわれているが、仕手戦での敗北が近藤紡の命を縮めたのかも知れない。笹川、糸山連合という、いわば素人集団に破れたことがプロの中のプロたる近藤紡としてこたえたのではないか。大仕手のあだ花、それが女近藤紡・川原比佐子の不惑の迷いであった。

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』