株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 13[鍋島高明](2015.03.02)

窮地に立つ松辰
破産か

松村 辰次郎

 読売新聞が相場師のエピソードを連載するのは珍しい。昭和3年10月から相場欄に「株界大手もの語り」と題して大物相場師を俎上に乗せる。その中で一番多くスペースを割くのは松辰こと松村辰次郎である。松村は明治42年の米相場を買って大損したあとは鳴かず飛ばずだったというのが定説になっているが、そうでもなかった。昭和に入ってからも松辰は多方面から注目を集めていた。読売の連載記事を抄録する。
 「今は64歳の老後を養っている松村辰次郎も実に大手としてピカ一であったことがある。彼は大阪生まれ、代々両替屋を業としていたというから、幼時から利殖方面の訓練を受けていたわけだ。しかし明治20年ころになると両替屋も妙味がなくなって、それらの大抵は株屋となった。松辰も大阪で株の仲買店を開業した。明治25年ころ。彼は紡績株をわずか100枚買ったのであったが、その会社が火災を起こしたため株価がタダになった」
 この辺りのことはこれまでの松辰奮闘録にはない「新事実」といえる。松辰は遺稿「相場の道」を遺しているが、自伝的な部分はごく少なく、相場の極意書の部類に入る。
 松辰はいったん店をたたむが、再起を果たす。
  「日清戦争中は買って取り、戦後の反動時代には売って取り、大分財産をこしらえ、有名な参宮鉄道の買占め当時は買占め派に対抗して高値から売りに回り、根こそぎ取って大儲けした。ところが、次第に実力がついてくると相場を大きく張るので大阪ではたちまち目標視される」
 北浜は市場が小さいから頭角を現すと、連合して向かってくるのでたまらない。意を決して兜町を目指す。明治35年(1902年)2月のことでイ(にんべん)店を開業する。折しも限月短縮(3限月→2限月)問題が飛び出し、株価が暴落、松辰は大損をこうむるが、ナンピン買いを試み、翌年、限月復旧から株価上げ潮になると儲けをふくらます。
 日露の雲行きが怪しくなると、株価は急落、大玉を抱えていた松辰は逃げるに逃げられない。東株の出来高は1日1万5,000枚前後、対する松辰の買い玉は3万〜4万枚というから、みずから手じまいに出れば相場は暴落である。加えて「松辰殺し」を狙った売り物がどんどん出るから松辰は追い詰められる。
 「今日破産するか、明日破産するかという窮地に陥る」

(写真は松村 辰次郎)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』