株式会社市場経済研究所

市場研コラム

【バックナンバーの一覧にもどる】

人物秘話、ときどき相場談義 15[鍋島高明](2015.03.19)

「島清」こと今村清之助
「大智は愚の如し」

今村清之助

 読売新聞の連載読み物「株界大手もの語り」(昭和3年10月−12月)は大物相場師たちのエピソードが面白い。
 今村清之助(1849-1902)は島清と呼ばれた。生家の屋号が「島田屋」であったためだ。島清は生糸やドル、株と手広く投機に手を出した。初め横浜のドル相場で名を上げた。天下の糸平や雨敬、岩田作兵衛、左右田、喜一郎西村喜三郎らと売った、買ったとやり合ってもまれたものだ。中でも「相場神」と称された西村軍次との戦いは永く語り継がれる。
 相場神・西村軍次は備前屋と呼ばれ外人を相手に地金類の売買をやった。大胆で奇略に長じた男で、大隈重信が郷里を出て、この男の家で初めてわらじを脱いだとされる。島清はこの相場神によって投機の腕を磨かれた。
 「場面を見る目は鋭く、世間の事情を聞く耳も敏捷だった。だが、彼は相場をやっているうちにこの目も耳も実際は駄目だとした。相場をやるには、馬鹿にならねばならぬと覚った。その具体例として、ある日彼は日本鉄道株についての有力な材料を目にし、耳にすることができた。それは日本鉄道があまりいい業績を示さないので、株主は増資の払込みを延滞し、工事が意の如くいかなくなった。そこで岩倉具視は華族連中を勧誘して盛んに日本鉄道株を買わせることに決めた。そのことを今村は早耳したのである」
 日本鉄道は日本初の民間鉄道会社で、明治14年(1881年)創立され、東北地方の中心的鉄道で、同39年(1906年)国有化された。日鉄の株主は東北地方に多かった。島清は東北方面に部下を派遣し、売り物があればさらった。明治18年ころのことだ。中央の情勢にうとい地方の株主たちは配当もない日鉄株をもてあましていた折から福の神到来とばかり売り渡した。
 島清筋は大体1株4円台で1万7,000〜1万8,000株を買い集めた。すると華族系の銀行が市場で買い始める。相場はたちまち7円台にはね上がる。島清はたちどころに1株3円からみ、トータルでは5万円超の儲けである。島清は買い集めた株をそっくり売り放った。そしてひとり悦に入っていた。
 ところで、日鉄株は数年たつと急上昇を始める。7円台から一気に20円の棒上げである。
 「そのうえ増資を決行したため子株に権利がついて羽が生えて売れるのだからすごい。華族たちは高値の株を買ったが、それを黙って銀行に保管しておいたため1株で楽に20円〜30円も儲けたから大きい。島清はみずから賢なりと誇っても利はわずか2〜3円に過ぎぬ」
 島清はこの時、「相場を張るには馬鹿にならねば駄目だ」と、みずからの非を覚ったという。まさしく「大智は愚なるが如し」である。

(写真は今村清之助)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』