株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 16[鍋島高明](2015.03.30)

東京の大富豪渡辺家
10代目で無に帰る

渡辺治右衛門

 読売新聞が昭和3年10月〜12月に連載した「株界大手のもの語り」。その中で東京株式取引所(東株)の大株主である東京屈指の大金持ち、渡辺治右衛門のエピソードも見逃せない。渡辺は東株で資産を増やしていった。明治11年9月に創立した当時は資本金はわずか20万円であったが、昭和3年までの50年間で7回増資が行われ、4,700万円と235倍に膨れ上がった。加えて株価は100円から200円に上がったから、470倍の価値になる。払込金を差引いても、わずか1株(100円)で4万5,000円ももうける。
 ところで、明治11年に東株1枚を最安値で買い、その年の最高値で売却し、これを繰り返しときたならどうなるか。大波乱を演じた年もあるので、さぞかし巨額の儲けと思うかも知れない。だが、読売新聞の計算では意外や意外、1万3,000円のもうけにとどまる。
 「株を手持ちしてじっとしていた者の方が有利になる。渡辺治右衛門はこうして東株の全株数の半分も背負わせられたのだから、その当時はばかばかしいと思っていても後年ひそかにほくそ笑んだわけである」
 渡辺は全盛期には東株の半数以上を占め、総会の時期が近づくと東株の重役が「配当はどのくらい致しましょうか」などと渡辺翁にお伺いを立てるのだからいやが上にも富は富を生む。渡辺は日本鉄道株も大量に保有していた。初めのうちはこの株も不人気だったが、後に増資に次ぐ増資で8回も子を産んだからどえらい儲けである。
 大手の相場師たちが相場の動きにうんうんうなりながら、切った、張ったやってもその割に儲けは小さいのに比べ渡辺の長期投資はまさに「金持ちケンカせず」で、相場を張らずに資産はねずみ算式に増えていく。
 渡辺も時には勝負する。東京馬車鉄道(馬鉄)の株では思惑を張った。業績不振で悩んでいた馬鉄が社長を種田某から新進実業家中野武営(のちに東株理事長)にすげ替えると中野はみずから車掌を買って出る。これを契機に業績はにわかに好転、そのことを中野から直に聞き出した渡辺は馬鉄株を買い増していった。そして明治39年には市電となり、東京市に買い上げられて、渡辺はまたまた大もうけ。この間、捨て値同然で買った土地も値が出てくるので、株と土地で大成り金となる。だが、昭和2年の金融恐慌で渡辺家が経営する東京渡辺銀行は破綻、第9代目渡辺治右衛門が積み上げた富はその息子、第10代渡辺治右衛門の代で無と帰した。

(写真は渡辺治右衛門)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』