株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 17[鍋島高明](2015.04.08)

鏑木繁氏の残したもの
「今は昔相場物語」

鏑木繁

 “風林火山”こと鏑木繁氏は相場道について数々の著書を残しているが、筆者が最も大事にし、利用させてもらっているのは「今は昔相場物語−船場・堂島・北浜」である。今は亡き日経OBの堤功さんから「手元に1册しかないけど、あんたが欲しけりゃあげるよ」と、惜しげもなく、恵んでくれたものだ。新書判で160ページ余の小冊子だが中身は濃い。鏑木さんが主宰していた投資日報に連載していたものを1册にまとめ、昭和47年に出版された。
 鏑木さんはまえがきで自信のほどをこう記している。
 「相場の世界について書かれたものは、きわめて豊富にある。しかし、実際に、そこで活躍した、その人自身が体験したそのことを文章にしたものは例が少ない。…時代は変わり、また証券、商品相場の制度も大きく変わった。しかし、人間の心は昔も今も変わらない。現代に生き続ける勝負の世界の厳しさ、そしてそこで勝者たらんと志す人々にとっては得るものが多いと思う」
 ここに収録された6編と筆者は以下の通り。
 
 1.「ああ堂島」 中村太蔵
 2.堂島の仕手戦 小西福松
 3.堂島と蛎殻町 大瀧由太郎
 4.昔の三品時代 中村太蔵
 5.あのころの北浜 加古清次
 6.取引所閉鎖時代の北浜 高橋保彦
 
 上記5名の筆者の中で大瀧氏は東京米穀取引所の職員だったように思う。あとの4人は堂島や三品、北浜の取引所(または取引員)に所属していた“街の古老”と呼ばれる人たちに違いない。中身の一端を紹介しよう。
 「ああ堂島」に出てくる北川米太郎のこと。大正から昭和初めの堂島では、取引店の店主は土日も休みもなく、各地の得意先を回り、月曜日の朝には店頭で指揮を取った。正月でも3日には必ず店に出て初相場(4日)の飾り付けに目を通した。
 「さらに納めの相場を掲示し、客先には新甫(しんぽ)の気配電報をみずから打った。4日の初相場のご祝儀商いが済めば、すぐその足で各地へ注文取りに回った。昔の人はよく働いたものだ、と今も感心している。京都大丸前の自宅から新京阪で午前7時に天六着、それからタクシーで堂島まで。7時15分には店に入った。私たちも主人と競争で一歩先に店に入らないと恥ずかしくて、1日中なんとも格好つかなかった思い出がある。北川さんはどんなに雨が降っても店先へは自動車を横づけにせず、必ず1町くらい手前で降りるのが習慣だった。立派な心掛けであると思った」
 北川には大口客が数多くいた。近藤信男(近藤紡社長)の義兄に当たる名古屋の永岡弥兵衛も北川の人柄に惚れたのか、北川商店の上得意だった。また西濃米穀の大石吉六も北川店の常連客だった。大石は売りの名人で売ってばかりいたが、戦後は大石商事、大阪大石商事など数店を持って羽振りがよかった。証券業も併せやっていた。
 鏑木さんはあとがきでこう書いた。
 「相場は生きている。生き続けている。喜怒哀楽の長い長い連続活動である。そのひとコマ、ひとコマのスペクタクルの中に登場人物の歴史がある」
 相場と終生闘い続けた鏑木さんにして初めて書ける文章である。

(写真は鏑木繁)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』