株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 21[鍋島高明](2015.11.13)

断片的相場師列伝
血尿に染まる根津嘉一郎

根津嘉一郎

 根津財閥の始祖根津嘉一郎の伝記「根津翁伝」が手に入った。この本の存在は知っていたが、さる古書店でやっと見つかった。昭和36年に出た500ページになんなんとする本、1万8,000円は少々高いと思ったが、思い切って買った。相場師研究家を自任する者には必須の本。根津は相場で身を立てた男。昔の財閥は相場と深くかかわってきたが、根津はことのほか相場と縁が深い。根津が株の売買に熱中するのは日清戦争(1894-95)前のことだ。山梨の田舎で村長をやっていたが、仕事の方は収入役の望月弥三郎に任せ、ハンコも渡し、みずからは東京日本橋の島屋旅館にたてこもった。「根津翁伝」の一節。
 「父の家督を相続して君の自由に帰した資産は主として田地で、その時価は公簿価格が約8万円であり、当時の売買価格はその4倍半であったから、仮りに4倍とみても、総価額32万円であった。このほか現金が5万円内外あったので、田地も山梨県の有信貯蓄銀行、若尾銀行、第十銀行らに抵当に入れて、金融を得て、これらを株式投資に当てた。君が経済界に活動するに当たっては、もとより裸一貫からたたき上げたのではなく、また親譲りの莫大な資産を土台として余り多くの苦労をせずして成功した単に幸運の人というのではなかった」
 根津の株式投資のやり方は、有望な株を買ってその値上がり益によって資産を増殖しようというもの。だから2カイ3ヤリと転々売買で値ザヤを稼ぐという目先筋の相場師ではなかった。根津が一番力を入れた株は日本郵船株で約1万株持っていた。そして九州鉄道株を8,000〜9,000株持っていた。
 その他甲武、総武、房総の各鉄道株、東京馬車鉄道などこれらの持ち株を抵当として銀行に入れ、融資を受けて株を買った。折から日清戦争に勝利して好景気が到来、株価は上昇する一方で、一時は80万〜90万円の巨利を占め、郷里から上京した根津家の番頭に「100万できたら銀行をつくるつもりだ」などと誇らしげに語っていた。ところが、素人投資家の悲しさー。
 「君は初めての経験のため、早く手じまいをする機会をのがした。明治30年から翌31年にわたって、経済界は恐慌状態に陥り、株式はことごとく暴落したので、君は多くの借入金を擁してすこぶる苦悩し、尿に血色を帯びるに至った。しかし、株式担保の頭金の入金には応じ得なかったが、借入金の利息の支払いを渋滞するようなことはなかった」(つづく)

(画像は根津嘉一郎)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』