株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 24[鍋島高明](2015.11.30)

「鵯越将軍」山内宇三郎
1NHKの記者だった孫の雅夫氏

米良 周

 「鵯越将軍」山内宇三郎が死去した時、地元の京都新聞は次のように報じた。第2世界大戦下、紙不足で新聞も減ページを迫られている折りから、顔写真を入れ大きなスペースを割いた。昭和17年8月27日付。
「京都株式界の元老山内宇三郎氏は糖尿病にて久しく病臥中のところ、酷暑のため26日午前逝去した。27日密葬のうえ来たる29日午後1時より3時まで土手町二條の自邸において葬儀が営まれる」
  この新聞の切り抜きをもらったのは孫の山内雅夫氏からである。雅夫氏は元NHKの記者でニューヨークの特派員をやっていた人で、引退したあとは占星術師としてマスコミによく出ていた。雅夫氏を小生に会わしてくれたのは畏友米良周元日本経済新聞編集委員である。日経金融新聞にニッポン相場師列伝を連載していたころ、米良氏から雅夫氏を紹介され、山内宇三郎関連の資料を沢山もらった。3人で一緒に飲んだことも2.3度ある。雅夫氏は神田にも事務所を持っていて、東京と京都を頻繁に往来していた。
 筆者の相場師ものをよく読んでくださり、ありがたい評者であったが、先年亡くなった。氏からいただいた「鵯越将軍出世物語」はいまも大切にしている。貴重な相場師物語だ。そしてほどなく米良氏も他界された。なにか因縁のようなものを感じる。嗚呼。  京都新聞の死亡記事に戻る。
 「同氏は滋賀県人にて本年71歳。明治42年京取の取引員を開業し、現在まで35年の長きにわたっているが、大正時代において期米市場で大活躍を演じ、瞬時にして数百万円の資産をなし、世人から鵯越将軍としてその驍名を全国的に謳われた。その後、期米市場の閉鎖と株式界も統制の強化から氏が活躍する余地は漸次減少して近年は神仏に対する信仰生活に専念し、多額の浄財を寄進し、公共事業に尽力するところ多く、同氏の天真爛漫にして直情怪行な性格は万人から好感され、その逝去は各方面から惜しまれている」
 宇三郎氏亡き後は長男山内正司が継承し、取引員常務を続けるとも報じている。しかし、ほどなく統制経済の輪は株式売買にも及ぶので、事業上は一代限りに終わる。  株式会社京都取引所の「五十年史」に山内宇三郎(山三印)の活躍振りが克明に記されている。京都取引所は株コメを上場していたが、山内は米穀が中心であったことが分かる。
大正元年 3等(米)
同6年  3等(〃) 同12年 5等(〃)
同7年  3等(〃) 同14年 5等(〃)
同8年  4等(〃) 同15年 5等(〃)
同9年 5等(〃) 昭和2年 4等(株)
同10年 4等(〃) 同3年 3等(〃)
同11年 5等(〃) 同6年 3等(〃)
               1等(米)
同7年 2等(米)
  同8年 2等(〃)
   昭和10年に米は市場閉鎖に追い込まれ、京都取引所は株だけの市場となる。大阪の「北浜」に対し、京都の株式市場は「京浜」(きょうはま)と呼ばれ、底力があった。

(写真は渡辺治右衛門)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』