株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 26[鍋島高明](2016.01.13)

「新版 大東京案内」が描く蛎殻町
糸平、岡半、増貫…

日経ビジネス人文庫「日本相場師列伝」より

 昭和4年、中央公論社から出版された今和次郎編「新版 大東京案内」は先年ちくま書房から文庫本になって復刊された。根強い読者の支持があるからだろう。その中の「かきがら町」のくだりをみてみよう。
 「かぶと町といつも対照されるのは蛎殻町である。ここはすべての消費者階級の台所に直接的なかかわりをもつ米穀取引所がある。『かぶと町に行く』というのは『株をやる』ことのシノニム(同義語)ならば、『蛎殻町へ出入りする』のは、米相場に手を出すことを意味するのである。ここの取引所はイキ筋に近い旧杉の森で、創立は明治9年5月。創立年限において、兜町より1.2年古いわけである」
 当時、東京米穀商品取引所の資本金は650万円、イキ筋に近いは分かるが、旧杉の森は意味不明、「米屋町50年の歴史の中には、有名な天下の糸平や、やかましかった岡半、問題を起こした増貫などという豪の者が飛び出し、重畳な波瀾をつくった大相場師がいたわけである」
 引用文中の相場師について若干コメントしよう。「天下の糸平」は19世紀最強の相場師と称される田中平八のことで、ダルマ宰相高橋是清の日記にも登場する。糸平ははじめ横浜や生糸やドル相場を手掛け、大もうけすると上京する。明治16年、兜町米高会所と蛎殻町米商会所が合併し、東京米商会所が出現すると頭取に推される。
 しかし、翌年肺結核で他界する。横浜での葬儀は開港以来の盛大なものだったと伝えられる。教科書にもなったくらいだからタダの相場師ではない。
 岡半は伊勢出身の岡半右衛門のことで彼も、大正期に鳴らした。大正7年コメ騒動のころが岡半の全盛期で、そのころの新聞では大きく取り上げられた。
 増貫こと増田貫一も名物相場師でやはり米騒動のころ、「暴利取締令」で懲役2カ月に処せられるが、東京毎日新聞は社会面で「増貫一代記」を連載する。時の農商務大臣、仲小路廉と対峙して一歩も引かなかった。
 「政府が無理矢理米価を抑え込もうとすれば、かえって米価は高騰するだろう」と怪気炎を上げるが、増貫の見解通りの展開となり、寺内正毅内閣は崩壊、仲小路大臣も退陣を余儀なくされる。
 「景気のいいころには兜町からこの界わいにかけて、100円札を裸のままふところに入れて、紙くずのように使い歩いた、といった一夜成金の挿話も残されている。昨日の成金も今日は素寒貧といった形容をそのまま地でいった人に、兜町で有名な鈴久がいる。彼は一時1,000万円をふところに入れたといわれるが、今は一株屋の事務員として働いている。全く栄華の夢、今いずこであって、米屋街にもそれに相当した大小無名の成金は無数に産出している」
 

(写真は日経ビジネス人文庫「日本相場師列伝」より)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』