株式会社市場経済研究所

市場研コラム

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人物秘話、ときどき相場談義 27[鍋島高明](2016.01.18)

天下無類の怪人・倉沢増吉
渋沢翁の一文に泣く

日経ビジネス人文庫「日本相場師列伝」より

 相場師で本を出す人は少ない。その中で福沢桃介と倉沢増吉は例外である。倉沢は「兜町太平記」「勝負師の肌」「財界はどう動くか」「株に強くなる本」など多数、みずからのCMソングもつくる念の入れようである。題して「根性のある奴」。
1、どうせ浮世は 色と欲
  おなじやるならドンとやれ
  大穴ねらいと 行きやしょう
  おいらは天下の勝負師だい
 ( コーラス )
  そうだい そうだい
  おいらは天下の勝負師だい

2,勝つも負けるも 時の運
  金もあの娘も 腕しだい
  男根性で 行きやしょう
  おいらは天下の勝負師だい
 ( コーラス )
  そうだい そうだい
  おいらは 天下の勝負師だい
 倉沢増吉(1903−没年不詳 )のプロフィールをみておこう。明治36年長野県出身、東洋予備校に学ぶ。少年時代から株の天才として片鱗を示し、大正5年株や米のブローカー鈴木隆仲買店に入り、のち独立して才取人となる。才取人とは仲買店間をかけずり回って売買を成立させ、手数料を稼ぐ人たち。取引所に上場されていない株や、上場されていても端株の売買は支配人の働く分野であった。
 その後、有価証券業を始めるが、60数回も倒産のうき目にあい、3度自殺を図るなど波乱万丈の経歴の持ち主。倉沢自身、みずからの来歴をこう語っている。
 「多年きたえられた『勘』と『胆』による成功は、兜町の『弾丸将軍』といわれて有名。その集中攻撃を浴びせる株はことごとく倍増するので業界の注目を一身に浴び、テレビ、雑誌にも兜町を背負って立つ人物として紹介されている。現在、全日本投資家連盟を主宰し、他に株主連合協議会、財界審議会などの役員を兼ねている」
 今日盛んな「アクチビスト」(もの言う株主)の先駆け的な存在。倉沢を巡って毀誉褒貶相半ばする怪人であるが、彼が昭和3年「産業界縦断」という本を出すに際し、以下の序文をもらったことは事実のようである。
 「氏は天空海闊の人。波乱万丈の斗争、数奇に満ちた生涯、危を踏み険を冒し、怒濤怒湧の間に自己を開拓した人。易をさけ、難局につかんとする勇猛果敢鉄の人。まさに天下無頼の奇傑の一人、敢えて世に広く推す所以なり」
 倉沢よ、何十回破綻に瀕し、自殺未遂に終わろうとも、渋沢翁のこの一文がすべての君の辛酸を帳消しにしてくれるであろう。もっと瞑すべし。
 

(写真は日経ビジネス人文庫「日本相場師列伝」より)

【 鍋島 高明(なべしま たかはる)略歴 】

昭和11年高知県生まれ。34年早大政経卒、日本経済新聞社入社。
47年商品部次長、夕刊コラム「十字路」に執筆。
58年同編集委員、夕刊「鐘」、朝刊「中外時評」に6年間執筆。
日経電子版に『相場師列伝』連載中。
インターネット上の「鈴木商店記念館」監修。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、
平成9年友人5人で(株)市場経済研究所を設立、現在代表取締役。

■著書
『日本相場師列伝』『日本相場師列伝U』『語り継がれる名相場師たち』(以上日経ビジネス人文庫)、「海坊主と恐れられた男 岩崎弥太郎」「大番頭金子直吉」(高知新聞社)
『ヘタな経済書より名作に学べ 金と相場』(河出書房新社)、
『鎧橋のほとりで』(米穀新聞社)、『北内正男と二家勝明−たどり着いて未だ山麓』